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<マイブログ>Vol.256 西南役(3)
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 上の写真は「西郷隆盛宿陣の地」。初めて延岡入りを果たした西郷隆盛が滞在した民家の跡。現在の延岡市大貫町にある。
 その看板によると、「明治10年8月2日から8泊9日間、この地にあった山内善吉家に宿陣。初めて西郷翁が延岡入りした地である。平成22年4月、延岡西南役会」とある。
 これより先、同年5月31日から7月28日の2ヶ月間、西郷は宮崎に滞在していたが、政府軍が迫って来たために宮崎を北上し延岡入りとなった。
 延岡は北側の大分との県境には山が連なり、2つの川(五ヶ瀬川と大瀬川)で挟まれた中洲によって街が形成されている。今は大企業のある都市であるが、西南の役のころは農業中心のへんぴなところだった。
 西南の役が終わって29年たった明治39年に発表された夏目漱石の小説「坊ちゃん」に、延岡は「人間と猿が半々住んでいるところ」と出てくる。実際はそういうことはないので、そんなへんぴな場所という代名詞として延岡が使われたように思われる。
 そんな延岡に、真面目で大人しい「うらなり先生」は、教頭「赤シャツ」の悪企みで左遷されてしまう。
 この「山内善吉家の跡地」は街の中心をはずれたところにあるので、気をつけていても見過ごしてしまうくらいだ。西郷たちがやってきたときは、まわりは田畑だらけだったと思われる。
 延岡はそんなへんぴなところではあるが、大分に出て中央に向かう重要な拠点と考えられため薩摩軍は軍の立て直しを図って結集した。
 それまで薩摩軍は政府軍との戦いに敗走を重ねてきたけれども、この戦略から「決着はまだついていない。これからだ」という薩摩軍の強い信念が感じられる。

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