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<マイブログ>Vol.257 西南役(4)
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 上の写真は和田越えの地から南方を見たもの。この地は延岡市の東海(とうみ)にあり、1877年(明治10年)8月15日、政府軍と薩摩軍の最後の組織的戦い「和田越えの決戦」が行われた。
 この小高い和田越えの地に西郷隆盛率いる薩摩軍が陣取り、そこから約2キロ南にある小高い山(写真;田畑のすぐ先の山)に政府軍が陣取った。当時の写真を見ると両者の間は一帯平地で農地が広がっている。
 決戦の日、濃霧が晴れた午前8時頃、戦闘が始まった。当初は水田に足を取られた政府軍に薩摩軍が切り込んで優勢だったが、次第に兵力と兵器に勝る政府軍が巻き返して行った。
 このときの兵力は、薩摩軍約3千5百、政府軍約5万。しかも政府軍の兵器も薩摩軍より優れていた。今でこそ我々は「薩摩軍にとって勝ち目のない戦い」と思いがちだが、薩摩軍にとって玉砕覚悟の戦いではなく勝利を信じての戦いだったと思われる。
 と言うのは、どんな逆境に置かれても諦めないというのが西郷の信念であり、そういう西郷を信じて人々が集まっていたからだ。また政府軍の兵士は元平民からなる集まりであり、元士族の兵士が負けるはずはないという自負の念があったように思う。
 しかし現実は違っていて、この戦いで初めて陣頭指揮を取った西郷は政府軍の戦いぶりを見て「これなら諸外国との戦いにも負けることはない」と語ったという。
 結局、午後2時頃には薩摩軍は総崩れとなり北側に退き、「和田越えの決戦」の決着がついた。 

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