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<マイブログ>Vol.262 敬天愛人(2)
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 上の写真は、1877年(明治10年)8月、延岡において西郷軍が政府軍との最後の戦いに破れて軍を解散し、鹿児島を目指して山中を行進し始めた地点。そのことを示す看板が細い山道に立っている。
 ここで改めて「敬天愛人」という言葉の意味する内容について考えてみる。人によっていろんな解釈ができるようだが、おおむね次のような感じではないかと思う。
 まず「敬天」についてだが、「人は天に生かされている。天は各人にその進むべき道を導いてくれる。そういう天を敬い、その教えに従って生きることが大事だ」ということになる。
 天に生かされているとか天に導かれているとか言うと、あまり現実的ではない感があるが、自分の中の心の声に従って生きるというふうになるだろうか。
 もっとくだけて言えば、「自分の気持ちに素直に、自分の気持ちにウソをつかないように生きる」というようになるだろうか。結局、自分が心からやりたいことをやって生きるということだ。
 また、「愛人」については、「天は万人を愛しており、我々もそういう天のように人を愛することが大事だ」となる。すなわち誰をも分け隔てなく愛するということであり、「博愛」という言葉に言い換えられるだろうか。
 このとき注意したいのは、自分を可愛がるだけの自己愛に陥ってはならないことだ。自分を大事にすることは重要だが、まわりのことを考えない自分本位の自己愛は病的である。

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