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<マイブログ>Vol.267 第64回精神分析学会(2)
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 日本精神分析学会第64回大会、ドナ・オレンジ先生(ニューヨーク大学)の講演「トラウマ、沈黙、そして解離」の概要は次の通り。
 トラウマとなるような衝撃的な出来事の記憶は意識の中から解離され語られることがなくなり、沈黙の状態となる。
 日々の臨床の中にも解離と外傷が存在する。例えば患者はただ「気分がすぐれないだけで他には何も問題はない」と訴えるのだが、患者の話の中に何かが抜けているという感じが漂う。
 もっと複雑な解離プロセスの人の場合、彼は子供の頃から無視され、必要なものをどう求めたらよいかさえ学べず、肯定されることも認めてもらったことも支えてもらったこともない。そのように望まれず喪失を感じている人には、「人として誰もが求めるのが当たり前だと思っていること」と「自分が求めることが許されると思うこと」の間に解離が存在する。すなわち自己評価が低くなる。
 その解離は理解される必要があるのだが難しい。患者と分析家の両方に間主観的感性を要する。分析家は「夢うつつ」というような状態、すなわち覚醒と睡眠の間のような状態で、「戦争から帰って来た父親が何も語らなかったこと。尋ねることを許されなかったこと。自分自身が何かを奪われてきたこと」を思い出す。その際、分析家は患者が自分の過去のことを思い出させてくれたように感じる。
 そして今度は分析家がその患者に尋ねる、「あなたの両親か祖父母のうち誰か戦争を体験した人がいますか?」と。すると患者は自分と家族の歴史をたどり、何か恐ろしいことを知り受けとめていく。
 私が広島を訪ねたとき、銀行の窓口で行員に広島に来た理由を尋ねられた。「私たちは日本にひどいことをしました。それを見なければならないと思ったからです」と答えると、彼女は「自分の祖母は・・・」と原爆について語ってくれた。私は今の日本に生きている全ての人が何らかの形で第二次世界大戦に関係していると想像している。

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